平山則廣 — Norihiro Hirayama オフィシャルサイト
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▶1984年、武蔵野美術大学在学中にNHKスペシャル「驚異の小宇宙 人体」のCG映像制作に参加。CGがまだ実験的な領域であった時代に映像表現の最前線に立ち会ったことが、以後の制作の基点となった。日本画を家業とする血脈は、ここで電子の技術と出会う。
1998年、伊藤若冲の動植綵絵を主題とする「若冲幻想」が生まれる。2003年、その新作は野口聡一宇宙飛行士に託され、スペースシャトルとともに国際宇宙ステーション(ISS)へ渡った。北斎の絵手本を抱えて水戸を離れた曽祖父の絵筆は、四代を経て地球の外へ運ばれたことになる。
2005年、フランス・ボーシャン市での個展「Ascension」。翌2006年にはJAXA主催「宇宙芸術展」に参加した。そして現在は、疫病退散を祈って鍾馗を描いた祖父の仕事に連なる営みとして、微生物の働きや、光と色彩がもたらす癒しを主題に、次世代の癒し空間を探求しつづけている。
物語は幕末の水戸に始まる。尊皇敬幕を掲げた水戸藩は、幕末には尊皇と敬幕が並び立たなくなり、二派に分かれて激しい内戦に明け暮れた。敬幕派の藩士だった曽祖父・平山由兵衛は、維新ののち反逆の徒として家名断絶の処分を受け、父・美寿から受け継いだ葛飾北斎の絵手本だけを携えて、命からがら水戸を脱出する。
刀を置いた武士は、筆を執った。由兵衛は武士としての正式な名「美信」を署名に、金の岩絵具を用いた見事なキジの絵などを残している。明治22年、待ちわびた家名再興の赦しが届き、同じ年、長男・常太郎の日本画が青年絵画共進会で入賞した。
その常太郎こそ、のちの祖父・平山寛亭である。明治35年、国の海外実業練習生として渡米し、ボストン、ニューヨーク、フィラデルフィアで金属彫刻を学んだ。帰国後、皇室に仕える宮中画家となった寛亭は、大正天皇即位の礼で奏される舞楽『萬歳楽』を描く大役を仰せつかる。天皇の御代が万年続きますようにと祈るその絵に、寛亭はもう一つの物語を潜ませた——青年から老年まで、異なる世代の四人の舞人が螺旋を描いて舞う、「継承」の物語である。
絵描きの血は、発明家となった父・精一の代でひと呼吸おき、四代目・平山則廣へと受け継がれた。息子がアートの道へ進んだとき、父は「絵描きの血が隔世遺伝したなあ」と喜んだという。北斎の絵手本とともに水戸を逃れた一族の絵筆は、日本画からCGへ、そして光の芸術へ——百五十年の時を越えて、いまも螺旋を描き続けている。
平山家には、幕末から四代にわたって受け継がれてきたアートの血脈がある。水戸藩士だった曽祖父から、皇室に仕えた日本画家の祖父、発明家の父を経て、平山則廣へ。葛飾北斎の絵手本二冊とともに、その物語は今もアトリエに息づいている。




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平山則廣のルーツは、幕末の水戸に遡る。曽祖父・平山由兵衛(美信)は水戸藩士。明治維新の動乱で身分と故郷を失った武士は、父から受け継いだ葛飾北斎の絵手本だけを携えて水戸を脱出し、刀を筆に持ち替えて日本画家として生きた。
その長男・平山寛亭は、皇室に仕える宮中画家となる。大正天皇即位の礼で奏された舞楽『萬歳楽』を描いた一枚(スライド1枚目の絵)には、青年から老年まで四人の舞人が螺旋を描いて舞う——「継承」の物語が潜められていた。
絵描きの血は発明家であった父・精一の代でひと呼吸おき、平山則廣へと隔世で受け継がれた。武士の魂、宮中の雅、そして北斎の絵手本二冊。四代にわたる血脈こそが、平山則廣という作家の礎である。
2003年、伊藤若冲の花鳥画を日本の美意識とテクノロジーで再構築した代表作「若冲幻想(動色彩絵)」は、野口聡一宇宙飛行士と共にスペースシャトルに搭載され、国際宇宙ステーション(ISS)へと旅立った。日本のデジタルアートが宇宙空間へ届いた、極めて稀有な実績である。
2006年6月には、JAXA主催「宇宙芸術展」に出展。かつて北斎の絵手本と共に水戸を逃れた一族の絵筆は、四代の時を経て、ついに地球の外へと届いた。
フランス・ボーシャンでの個展の際には、野口飛行士がISSから現地の子どもたちへメールを送るという交流も生まれ、宇宙と芸術と人をつなぐ物語として、仏公的機関CEEVOにも公式に紹介された。
本作は、企画・構成から映像制作までを平山則廣が手がけた作品である。ISSへ渡った『若冲幻想』は、平山則廣の映像作品である。
代表作「Ascension(アセンション)」は、光と色彩が織りなす映像空間へ観る者を誘い、心身を癒す「光の癒し」効果を持つ作品である。疫病退散の神・鍾馗を描いた祖父の祈りを受け継ぐように、平山則廣はアートを「見る薬」として探求してきた。
2005年フランス・ボーシャン市での個展「Ascension」は来場者2,000名超を記録し、仏国営テレビARTEで全国放映、在フランス日本大使館の公式サイトにも掲載。「観客を仮想映像の世界への旅へと誘う」と評された。
現在、そのヒーリングアートは鹿児島県メディポリス指宿、江ノ島ENOSPA、上諏訪温泉しんゆなど、癒しの場に常設展示され、日々訪れる人々の心と身体をほどいている。
2026年、能登半島地震からの復興を願い開催された地域イベント「能登の絆」の総合プロデュース・制作を担当。光と映像による空間演出を通じ、被災地に希望と絆のメッセージを届けた。地元関係者・企業スポンサー・アーティストが一体となった地方創生プロジェクトである。